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放射線 と 物理
備考)リンク先は全てWikipediaです。より詳しく知りたいと思ったらどうぞ
放射線の歴史
    ヴィルヘルム・レントゲン(Wikipedia)
  1. 1895年(明治28年) ヴィルヘルム(名)・レントゲン(姓) によってX線が放電管の実験から発見されます (この発見は、まず医学物理学会へ報告されています)。 そして、レントゲンは、この業績によって、1901年第1回ノーベル物理学賞を受賞しています。 また、レントゲンの父方はドイツ系なのですが、母方はオランダ系で、レントゲン自身も、オランダで生まれ教育を受けました。 そのため、戸籍上はオランダ人となっているようです (ただ、その後、父方の系列・ドイツの大学で活躍しているということもあり、国籍はドイツ人と紹介されていることが多いようです)。
    レントゲンは、この発見を特許にすれば莫大な財産を築けたのですが、『科学は万人のために』と全て公開・開放しました。 結果として、X線の医療応用が瞬く間に広まりました。 日本では、日清戦争が終結したころです。 実は、第2回のノーベル賞2人ともオランダ人( ヘンドリック・ローレンツ ピーター・ゼーマン )で、オランダの科学力は高かったことが伺い知れます。江戸時代に幕府が蘭学を選ぶことになったのは、実は、結構良かったのかもしれません。
  2. アンリ・ベクレル(Wikipedia)
  3. 第2幕はフランスが舞台になります。
    レントゲンがX線を発表した翌年の1896年、 アンリ(名)・ベクレル(姓) は、ガラス工芸に使用されるウラン化合物の蛍光を研究していました。 レントゲンの論文を読んだ同僚の ポアンカレ が、ベクレルに、「ウラン化合物からも何か出てるんじゃない?」と提案。 そして、実際にウランが放射線を出していることを発見しました。 この功績は、1903年第3回のノーベル物理学賞となります。 また、同時に マリー・キュリー ピエール・キュリー もノーベル賞を受賞していますが、これは、ウランではない放射性物質(ラジウムやトリウムなど)の研究による功績に対してでした。さらに、『放射能』という言葉を作ったものキュリー夫妻です。 キュリー夫人はポーランドからフランス国籍になっていますが、この3名がフランス人というのは、フランスが原子力発電に前向きなところ、歴史的なものがあるように感じます。 この放射線の発見は、レントゲンのX線とは異なり、放射性物質の発見、つまり放射能の発見になります。
  4. アーネスト・ラザフォード(Wikipedia)
  5. 第3幕はイギリスのケンブリッチ大学が舞台になります。
    1898〜9年(ベクレルの放射性物質発見の約2年後) アーネスト(名)・ラザフォード(姓) によってウランから出る放射線にα線、β線というものがあると判明します。 そして、ラザフォードは、この業績によって、1908年第8回ノーベル化学学賞を受賞しています。 ラザフォードは、もともとはニュージーランド生まれですが、父はイギリスを構成する一つの地域のスコットランド出身です。 当時、イギリスは、ニュージーランドを植民地としていたために、多くの人が、イギリスからニュージーランドに入植していたようです。 ラザフォードは、放射線の研究としては、まさに、中興の祖であり、この後にも多くの関わりがあります。
  6. ポール・ヴィラール(Wikipedia)
  7. 第4幕は再びフランスです。
    1900年(ラザフォードによるα, β線の区別の翌年) ポール(名)・ヴィラール(姓) によってウランからγ線という放射線があることが発見されます(γ線という呼称自体は、ラザフォードによって1903年に命名)。 少し残念なことながら、ヴィラールは、発見当初はあまり注目してもらえなかったようです(自身も研究やめてしまったよう)。 で、3年後、ラザフォードによってγ線と名付けられます。
  8. さて、ここまでで、α線、β線、γ線という言葉が出てきました。 少し、高校物理の教科書を参照してみましょう。

    引用)P280, 高等学校 物理, 数研出版, 平成4年(1992)
    天然の放射性同位体から出る放射線には, α線・β線・γ線の3種類がある。 α線は高エネルギーのヘリウム原子核 $^4_2\mathrm{He}$ で、α粒子と呼ばれる。 β線は高エネルギーの電子, γ線は波長がほぼ $10^{-11}m$ 以下の電磁波である。

    さて、ここまでで、α線、β線、γ線、X線という言葉が出てきました。 実は、X線は、γ線の波長が3桁分大きい範囲の電磁波です(さらに波長が大きくなると、紫外線、可視光線と続きます)。
    ここまでは、比較的一般的に知られていることだと思います。 しかし、実は、現在、放射線という言葉は、少し広い意味で使用されています。 今度は、物理学辞典を参照してみましょう。

    引用)「放射線」の項目の冒頭、物理学辞典1995ページ、培風館, 2002年4月20日改訂第5刷
    最初はレントゲンが1895年に発見したX線, ついで自然放射性元素から放出されるα線, β線, γ線のことであったが, 現在では, エネルギーをもって運動している素粒子, 原子核, 光子などを総称して放射線とよんでいる. 線とよばれるのは, 粒子の流れに方向性が認められるのが普通だからである.

    また、この1900年前後、箔検電器が放射線の観測に使用されていました。 この箔検電器が、放射性物質の無いところでも、閉じる(電気が無い状態、放電)ことが知られていました。 このことは、後に、宇宙線の発見に繋がります。
    これで放射線の歴史の前半戦終了です。 実は、α線、β線、γ線というのは比較的発見しやすいものでした。 というのは、これらの放射線は、磁場や物質と、何かしらの反応をしやすいものです。 また、新しく実験施設に加わったものです。 しかし、反応が薄い放射線、既に身の回りにある放射線もありました。 次はそのような放射線を見ていくことになります。
    ヴィクトール・ヘス(Wikipedia)
  9. 第5幕はオーストリアからです。
    1895年の放射線の発見から、物理の先端研究は、放射線の研究になっていました。 ヴィクトール・ヘス は、1912年当時、地球内部からの放射線と思われていたものが、実は、宇宙から来ているもの多いということを実験により確認しました。 ヘスは、この業績により1936年、ノーベル物理学賞を受賞します。 そして、宇宙から来る放射線は、何なのか、多いのか・少ないのか、という研究が始まりました。
  10. ジェームズ・チャドウィック(Wikipedia under Los Alamos National Security) Unless otherwise indicated, this information has been authored by an employee or employees of the Los Alamos National Security, LLC (LANS), operator of the Los Alamos National Laboratory under Contract No. DE-AC52-06NA25396 with the U.S. Department of Energy.
  11. 第6幕はイギリスに戻りますです。
    アーネスト・ラザフォードが1920年に中性子を予言します。 そして12年後、ポール・ヴィラールによるγ線の発見から、実に32年後の1932年 ジェームズ(名)・チャドウィック(姓) が、ベリリウムにα線を照射する実験から中性子(中性子線)を発見します。
    チャドウィックは、この業績により1935年、ノーベル物理学賞を受賞します。 さて、この1935年は、実は、湯川秀樹が中間子論の論文を提出した年でした。 これは、「まだまだ、いろんな粒子があるぞ」という可能性を広げた点でも、画期的な論文だと思います。 現実に、その後、様々な新しい粒子が発見されて、それは同時に、新しい放射線ということになります。
  12. オットー・ハーン(Wikipedia (CC BY-SA 3.0 NL)) https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/nl/
    ところで、中性子が発見された1932年は、昭和7年になります。 1929年に始まった世界恐慌により、日本も昭和恐慌となりました。 この年は、5.15事件により犬養毅が暗殺されるという事件が発生しています。 チャドウィックの中性子の発見から6年後、 オットー(名)・ハーン(姓) らが、中性子をウランに照射するという実験で、核分裂を発生させました(同じような実験をエンリコ・フェルミも行っています)。 ウラン化合物が、放射性物質ということは、 第2幕 で見てきましたが、そもそも、なぜ放射性物質かというと不安定な原子だからです。 不安定な原子だから、放射線を出すし、放射線に対して簡単に壊れてしまうということになります。 ここで、もし、分裂した原子がさらに放射線を出すような場合、連続的に放射性物質を生成して、かつ放射線を出すことになります。

    放射線はご存知の通り、エネルギーを伝えることができます。 そして、それを連続的に制御することができる可能性がここに判明しました。 言わずと知れた、原子力発電や原子爆弾の原理です。 本来なら、多くの物理学者・放射線科学者は、より世界を知りたいという好奇心で研究していたはずです。 しかし、この世界を知るための知識や技術はどんどん発展し、極めて大きい実益や力を掘り起こす可能性も増大しました。
    続く
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